求める人間像

こういう日記はあまり書きたくないのだが

あまりにも逆に見られっぱなしなので愚痴でも垂らしてみる。





求める人間像、つまり友人関係。

私は昔からリアルでの束縛や馴れ馴れしいことが苦手だった。
小・中学時代、同級生が突然家に上がりこんで、何も前触れも無く「泊まってもいい?」って聞かれたのには凄く戸惑った。
小・中学といえば義務教育の真っ最中。無論この年齢では夜の外出は禁じられてるはず。さらにいえば、この世代は自分自身のプライバシーを尊厳する必要があったからだ。
また、それには不信感のほか、表現の自由を奪っているだとかあるはずだ。中学の頃から私は「無理に家に上がりこむ人=新聞勧誘員」と同じ位置づけだと考えてた。

私は人に合わせやすいのか、いつしか年下相手の人間が多く集まり、年下のタメ口OKだとか束縛して最高だ!という感じになり、ドMな人間に見られていた。




・・・・・・いや、実際は違う。
言葉遣いは基本的に互いに敬語。私も初対面の人間に対しては必ず敬語を使う。
絶対怒らないように見えるけど、キレるときはこれでもかとキレる。過去2・3度ほど仕事上で客に対して嫌な事があり、仕事後に報復に出たことがあった。
私は根っから年上でリアルで束縛や干渉しないもの、それでもって包容力がある者が好きだ。
逆に、年下でなんでもかんでも真似たり、自分がいいと思ったやつを100%いいだとか言い切る奴は嫌いだ。
あと、根拠の無い自信と一方的に束縛や干渉する人間性。例えば、自分で隠していたものを他人が勝手にボロっとわざと口に出したり、人の自由(時間やモノなど)をその人間から奪おうというもの。
人の自由を奪うことや相手のものを乗っ取るのは以ってのほか。何より平和で自由気ままであり、自分に有益であり、目的や目標点である人との繋がりが一番だ。


嫌いな人間像に該当する人間に言っておきますが、そういうのは見放すつもりで居ますので。